Racing Diary 2002's Race

全日本ロードレース選手権 最終戦鈴鹿2&4レース

2002年11月2~3日 三重県 鈴鹿サーキット

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ケンツGSX-R1000+北川、最終戦で再び表彰をゲット

来シーズンからのレギュレーション変更により、ケンツGSX-R1000プロトマシンでのレース参加はこの鈴鹿2&4が最後となる。チームはこの最後を優勝で飾るべく、新作のカムシャフトとピストンを組み込んだ最終スペック仕様のエンジンを鈴鹿に持ち込んだ。
 金曜日の走行は残念ながら1日中雨。そんな悪コンデションの中、周回を重ねる北川はこのニュースペックエンジンに好感触を持つ。 「とくに高回転のフィーリングがいい。今までのより確実に速いですよ」言葉どおりこの日は総合4番手で走行を終えた。
 翌土曜日、天候はなんとか持ち直すが、風が強く実際の気温よりも体感温度は低い。午前中の1回目予選は、ところどころにウェットパッチが残るコンデションで行なわれた。

ところが強風と低温のためか、思ったほど全体的にタイムは上がらない。それは北川も同様で、何度もピットイン、ピットアウトを繰り返し、セットアップに励むが思うような走りが出来なかったようだ。
 結局1回めの予選は6番手で終了。午後の予選2回目でもこの路面状況は変わらずで、さらに一段と風が強くなってくる始末。北川は2分8秒534までタイムアップするが、最終的になんとか2列目を確保する、8番手で予選を終了した。
 「全然路面にグリップ感がない。ホイルスピンしっぱなしというか、とにかく路面状況に合ったセットを見つけられなかった。みんなも苦労しているようだけど…」

 決勝日は秋晴れの晴天。だが昨日からの北風はおさまらず、気温は10度前後という寒さだ。朝のフリー走行でいろいろとセットを変えてみるものの、正解は見つからず。だが決勝レースまでの短い時間にチームと北川はある決断をする。
 このままでは決勝レースを戦えないと判断し、思い切ってこれまでと全く違ったセッティングに振ったのだ。
 いわばギャンブルに出たわけである。

 決勝レース、北川は好スタートを切るものの、イン側スタートということもあって第1コーナーで集団に飲み込まれて8番手でS字に突入する。
 レースは2周目のスプーンでポールの梁選手が転倒し、続く130Rではホンダの玉田選手も転倒という波乱の序盤となる。北川はこの序盤でスズキの渡辺選手、ヨシムラの芹沢選手を次々と抜き、4位にポジションアップする。
 どうやらギャンブルには勝ったようである。そのまま中盤にかけてレースは膠着状態を迎える。

北川、最終戦で再び表彰をゲット

 トップにはスズキの加賀山選手、ヤマハの吉川、辻村選手のワークスがいて、その後に北川、芹沢、そして渡辺、モリワキのプロトマシンを操る奥野選手と続く。
 残り5周となった時点で北川はスパートをかけ、芹沢選手を引き離しにかかる。残り3周、なんと加賀山選手がマシントラブルで戦列を離れた。
 これで北川は3位に浮上し、さらに一時はジリジリと離されていた2位の辻村選手との差を、再び詰め始めた。だが残り周回も少なく、惜しくも北川は3位でチェッカー。今期3度目の総合表彰台に上った。

ケンツJトラスト&MOJO 北川選手
レース前の思い切ったセッティング変更が当たってよかった。ラッキーな面もあったけど、とにかく表彰台に上れてうれしい。スポンサーとチームスタッフ、そして応援してくれた人たちにお礼を言いたい。
ケンツJトラスト&MOJO 川島監督
最後にまた表彰台に上がってくれて満足している。今回はニュースペックエンジンを製作して持ち込み、これがうまく機能してくれた。北川はもちろん、チームスタッフも必死に頑張ってくれたおかげだと思う。 今期はワークスを相手に3度も表彰台に上がり、また8耐でも序盤にはトップも走れた。僕が言うのもなんだが、プライベーターとしてはよくやったと思う。とにかく今年1年を通じて温かく見守ってくれたスポンサーの方々にお礼を申し上げたい。

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