Racing Diary 2004's Race

全日本ロードレース選手権第1戦~鈴鹿300レース、もてぎ

2004年7月15日 鈴鹿300kmレース、もてぎ まで

HOME > レース活動のレポート一覧 > 2004年7月15日:鈴鹿300kmレース、もてぎ まで

北川圭一レースリポート 2004年 鈴鹿8時間耐久レースを前にして…

北川圭一 8耐を前にして

こんにちは ケンツMOTULスズキの北川圭一です。
すっかりご無沙汰していますが、8耐前に近況報告をしたいと思い、今シーズンのここまでの僕のレースレポートと合わせてお知らせします。

■シーズンインまでの準備不足

  とにかく今シーズンは忙しい、慌しいことだらけです。年明け早々には、マレーシア・セパンでのタイヤテストでみっちり走りこんだし、前にお送りしたレポートにも書いたように、ル・マン出場が決まって、まだ2月のうちに現地テストをして、すぐに全日本が開幕し、そしてその翌週末にはル・マン本戦出場。ようやく終わって、いちばん肝心な全日本が、いまひとつ結果が出ていない、という状況になってきてしまっています。

  とにかく今シーズンは準備不足が一番の問題でした。ご存知のとおり、今シーズンからJSB1000のレギュレーションがかわって、エンジンスペックが変わることになりました。  

去年よりパワーアップしたのですが、これが結構くせもので、去年まで車体とエンジンのバランスがものすごくよかったケンツGSX-Rが、エンジンパワーが上がった分、ややバランスを崩してしまったんです。もちろん、パワーアップだけが問題ではないんですが、とにかくセットアップを詰め切れないまま開幕を迎えてしまいました。

  マシンを決めるのは、とにかく走りこみたいのですが、シーズン前にはそれもなかなかチャンスがなかった。開幕戦で3位にはなれましたが、ちょっと厳しい3位だな、というのが正直なところでしたね。予選までにセットアップを決め切れなくて、ちょっとハマってしまった。とても闘える状態じゃなかった、というのが正直なところでした。

■闘えるマシンへの進化とチームの苦しみ

  でも、続くオートポリスではそれも解決し、かなりマシンもまとまってきたんです。エンジンも車体も、04スペックがまとまってきて、走っている感触もかなりよくなった。コレはイケる、と思ってのレースでした。予選は2列目5番手。でも、確かな手ごたえがありました。

  決勝では、井筒(ホンダ)、柳川(カワサキ)、山口(ホンダ)がリードしていく展開になったんですが、中盤から井筒が下がって、僕が柳川と山口のトップ争いに割って入って3台でトップ争いになりました。それから一度トップに出たんですが、引き離すのもできずに、この3台で順位を入れ替えながら終盤になっていきました。

  それでラストラップ、3番手にいたんですが、ここで3位はいらんなぁ、と思って、2番手の柳川にアタックしました。それで、オートポリス名物の下りヘアピンでスリップダウンしてしまいまったんです。

  このヘアピンは、コーナーの折り返しから下り始めていて、イン側に行くほどコースの落差が激しいのに、ちょうどそこにフロントタイヤを乗せちゃったんです。あと1本分アウトならなぁ、とも思いましたが、それは仕方がない。マシンを仕上げてくれたスタッフのみんなには悪かったけれど、やっちゃったぁ、しゃーないか!って、わりとサバサバしてた転倒でしたね。ノーポイントに終わったのは痛かったけど、3位より2位、2位より優勝を狙っての転倒だったし、そこまでマシンが仕上がった、って確信があってのレースでした。

優勝を狙っての走り  

  続く筑波は、うまくマシンも決まっていたし、僕の調子もよかった。けれど決勝日が雨になってしまって、決勝用のタイヤを完全にミスチョイス。グリップしないし、ライフも短いというタイヤを選んでしまって、まったくいいところなくレースを終えてしまったんです。走っていたのは中盤グループで、それも8位とか9位という、本来なら僕がいてはいけないようなポジション。ペースも上がらないし、路面はだんだん乾いてさらにタイヤが厳しくなってくるしで、まったくいいところないレースでした。

  しかも、このレースの前には、スタッフもひとり減ってしまって、ただでさえ少ないケンツの陣容がさらに薄くなって、僕も監督も高橋メカニックも、とにかくもういっぱいいっぱいで、まったく余裕がなくなってしまった。これでは新しいアイディアとかトライができず、チームの雰囲気も重くなってしまって、正直かなり精神的にキツいなかでのレースになってしまいましたね。

■ベストレース。鈴鹿300km耐久

  続く鈴鹿300kmは、走る前から厳しいことがわかっていたレースでした。去年までは鈴鹿200kmとして行われていたこの300kmですが、今年は全日本選手権から外れた、単独のレースイベント。走行距離が300kmに伸びることで、タイヤ交換、ガス補給に加えて、ライダーチェンジもあるという、まさに8耐の前哨戦にふさわしいレースに変わったのです。

  そして僕は、このレースを一人で走る事に決めました。発表したとおり、今年の8耐も、去年と同じくワールドスーパースポーツに出場している藤原克昭とコンビを組みます。ならばカツアキが帰ってきてテストをするまでに、マシンの準備をしておこうと思ったし、カツと僕以外のライダーを、この300kmのためだけに呼んでも仕方ない、と思ったんです。

  マシンは当初、8耐で出るスーパーバイク仕様で300kmも参戦する予定だったんですが、これも今のチーム事情もあって、JSB仕様で整備を済ませるのが精一杯。ならばJSBマシンでたっぷりデータをとっておこう、ということになりました。ケンツは300kmで、エントリーリストには「SB」エントリーになっていましたが、じつはいつもの全日本に出ているJSBマシンとまったく同じだったんです。

    レースでは、決勝までにどんどんマシンが決まり、とてもいいフィーリングで決勝を迎えることができました。なのに、決勝日朝のフリー走行で、いきなりエンジンブロー。せっかくセットを詰めてきたエンジンだったんですが、ここで急遽スペアエンジンに載せかえることになりました。

  いつもの全日本とは違って、今回の300kmは、土曜にフリー走行と予選があって、日曜に決勝というキツキツのスケジュール。しかも決勝朝のフリーから決勝まで、わずか1時間チョイしか時間がない。けれど、人がいなくて苦しいはずのチームのみんなが、監督まで一緒になってエンジンの載せかえ作業をしてくれて、なんと決勝までにスペアエンジン搭載車が出来あがりました。

  考えてみれば、ブローしたエンジンも、予選中に壊れたらタイムアタックができなかっただろうし、もちろん決勝中だったらこの300km参戦がまったくの無駄になってしまう。その意味では、いちばん影響のないタイミングでエンジンが壊れた、ということ。プラス思考でいかなきゃね。

  決勝は、ポールからスタートした宇川&井筒(ホンダ)のホンダワークスチームとの闘いになりました。スタートライダーの宇川が速く、しかもラクにタイムを出しているな、という印象。向こうはスーパーバイクで、僕はJSBという決定的ハンデもありましたが、載せかえ前のエンジンだったら、もっと違う展開になっていたと思います。

  レースは、スタートから飛び出した宇川がペースをつくる展開で、序盤はついて行けた僕も、さすがにホンダワークスのスーパーバイクは速い。なんとか前に出てペースを抑えてやろう、とムキになって宇川をパスするんですが、その都度すぐに抜き返されてしまう苦しい展開でした。10周目あたりからはジリジリ離されて、あとの僕の仕事は、300kmをいかにミスなく走りきるか、ということ。この日はキッチリ晴れて、8耐本番にかなり近い暑いコンディション。ル・マンで2時間連続走行した僕も、ペースを考えなきゃヤバい、って感じでした。

  結局、ホンダワークスには離されたものの、キッチリ走り切って2位入賞できました。エントリーではSB仕様になっていましたが、JSB仕様にエントリーし直せていたら、ブッチギリでJSBクラス優勝ですよ。300kmをひとりで走りきれたことも大きかったし、結果も残せた、今シーズンはじめて納得行く走りができたレースになりました。

■もてぎで上昇気流に乗って行くはずが…

  300kmが終わった2週間後には、もてぎです。これが8耐までの前半戦終了ってことで、まずはここを越えて8耐へ臨みたいレースでした。マシンの方向も決まり始めたし、鈴鹿で結果も出せたことだし、シリーズのことを考えた上でも、ここで勝っておきたいレース。なんせ、鈴鹿300kmはシリーズ戦ではなかったので、ポイントは加算されませんからね。

  ここもてぎは去年、大ブッチギリで勝てたレースなので、得意だし、事前テストでもいいタイムが出ています。金曜から去年と同じような走りができて、あとはタイヤを決めていけば、自分の走りができる、と手ごたえがあったレースでした。

  けれど、予選ではタイムが出ない。タイヤを選びながら午後にはなんとかアタックできましたが、タイムはポールからほんの0秒8とはいえ、2列目7番手。レコード更新のタイムですが、自分的にはもう少し行けたかな、って状態でした。

  そして決勝レース。サイティングが終わってグリッドについて、さぁスタート、という時に事件は起きました。

  シグナルが消えて、いざクラッチミート。しかし、マシンが前に出ない!

  「しまった、ニュートラル!」と思ってシフトペダルを掻き上げだら、そのままものすごいショックでスタートできたんですが、順位は大きく出遅れ。しかも、スタート時のトルクでスプロケットが歯こぼれを起こしたらしく、残念ながらそのままリタイヤ。グリッドに着いている時に確実にミッションはローに入れているし、なぜニュートラルに入ったのかわからないんですが、なんとも消化不良なレースになってしまいました。だって、レースしていないんですから。

  でも、このアクシデントで不運はオシマイ。僕とケンツのアンラッキーはここで出尽くした、って思うことにして、あとはもう8耐に向かって全力で進んで行こうと思っています。

  もてぎが終わってからは、スズキのテストコースでのテストや、ダンロップ主催の鈴鹿テスト、スズキ占有の鈴鹿テストなど、みっちりマシンを仕上げることに集中しています。カツアキも6月末のダンロップテストから合流して、僕のGSX-Rを、「僕とカツのGSX-R」に仕上げているところです。タイヤを選んだり、燃費チェックをしたり、データをどんどん集めているところですが、かなりいい手応えを感じています。

  なんといっても8耐は、去年のラスト1時間まで独走でトップを走っていて、いきなり地獄に叩き落されたようなレースでしたから、チーム全員で、あと一歩でこの手にできるはずだった「8耐優勝」というでっかい勲章を取りに行こうと思っています。7月最終週までにとにかく準備をぬかりなくやっておいて、全員で8耐を戦います。

  チームは、いつもの全日本から応援してくれている、アート引越しセンターと、G’ZOXさんがバックアップしてくれて「ケンツART0123MOTULスズキG'ZOX」というチーム名で戦います。
  応援よろしくお願いします!

2004年7月
ケンツART0123MOTULスズキG'ZOX
北川圭一

<<次のダイアリーへ | 前のダイアリーへ>>