いつもお世話になっています。ケンツJトラストMOJOスズキの北川圭一です。
いつもの全日本選手権レポートに続き、今回は鈴鹿8時間耐久ロードレースのレポートです。いろいろなことがありましたが、とにかく今回も精一杯やりました。もう結果はご存知いただいているかもしれませんが、あらためて報告させていただこうと思います。
もてぎの全日本から2週間。すこしスケジュールはタイトですが、いよいよ8耐の季節がやってきました。梅雨明けも遅かった今年ですが、耐久の前にはきっちりと夏がやってきて、やっぱり耐久は、メッチャ暑い。
今年の8耐は、ペアライダーに、ワールドスーパースポーツにフルエントリーする藤原克昭を呼んでの参戦ということもあって、ケンツで走る耐久としては、これまでで最高の陣容。
克昭は95年までいたカワサキ時代からの後輩だし、スズキに乗るようになったのも同時期の96年から。気心の知れた、普段から仲がいいヤツですから、最高のパートナー。克昭が世界選手権に出るようになってから、どれくらい成長したかな、というのも楽しみでしたね。
水曜からスポーツ走行があることもあって、鈴鹿入りは火曜夜。鈴鹿入りして、水曜に午後だけのスポーツ走行を済ませて、さぁ木曜から公式フリー走行…と思ったら、水曜の夜から、ちょっと体の調子がおかしかったんです。なんとなくノドがいたくて、体がだるくなり始めてしまった。
「うわぁヤバい…」
いつもの、風邪をひく前兆のような感じが、よりによってこのウィークにやってきてしまった。案の定、木曜の朝は熱が出始めて、もうフラフラ。走れることは走れるんですが、頭がボーッとして、車体の細かいセットアップまで気が回らない。
走るとこういう症状が出てる、というのは分かるんだけれど、それをこういう風に対処して、ってところまで考えが行かないんです。そのまま木曜の走行は、点滴を打って走りながらホテルへ。もう、治ってくれ、治ってくれ、と思いながら休むしかやることがない。
金曜は、少しはマシになったとはいえ、まだフラフラ。座薬をいれて熱を下げたら少しはマシだったんですが、やはり体が本調子でなく、全力の走りも、それに対してのセットアップもなかなかはかどらない。午前のタイムは、中富選手(ヤマハ)に先行されてグループ2番手。午前と午後のわずかな時間もホテルへ帰って、とにかく休みました。
時間を見つけたらとにかく休んで、薬を飲んでのくりかえし。そのおかげもあってか、午後はトップタイムをマークすることができました。まだまだ本調子ではありませんが、なんとか間に合った。でも、金曜の夜間走行を克昭が全部やってくれたり、土曜午前のイベント(これもプロライダーとして大事な仕事です)に川島賢三郎監督がかわりに出てくれたりと、本当にチームみんなで助けてくれた。本当に頭が下がります。
そして土曜日。今度はどうも胃や肝臓がおかしい。これは、きのうまで薬をたくさん飲んで胃が荒れてしまったからと判明したんですが、規定量より多めに飲んで治そうと思うくらい、それくらい焦っていたんです。ノドが腫れて炎症を起こしているので、医務室へ行ってピンセットでノドの表面をカリカリとキレイにしてもらったり、もうやれることはすべてやりました。ココまで来たら、もう体の調子が悪いなんていってられませんから、がんばりました。
金曜の予選は総合9番手。でも、土曜のスペシャルステージに出られる20番手に入ればOK、と思って臨んだ予選でしたから、この順位で大丈夫。しかもこの耐久は、金曜から日曜の決勝レース終了まで、前後10セットのタイヤしか使えないレギュレーション。
決勝、ふたりで8回走行して、それでタイヤを8セット使うんだから、金曜の午前午後2回の予選(ふたりだから計4セッション)、それに決勝日朝のフリー走行を加えて、5セッションを2セットのタイヤで済ませなければいけなかったんです。路面温度は50度にもなっているというのに、これでは完全なセットアップなんかできない。今回の耐久の予選がタイムアタック合戦、にならなかったのも、この辺に原因があるんです。
タイヤ本数制限から除外されたスペシャルステージでは、このウィークではじめて2分7秒台に入れて、3番手グリッド。体調もどうにか決勝に間に合いました!
それでも、ここまでのケンツの予選とマシンのセットアップには、問題がないわけではありませんでした。それは、耐久ならではの、ふたりのライダーによるセットアップの方向性や好みの違いです。
マシンはケンツGSX-Rで、ここまでぼくが全日本で走ってきたマシンですから、当然これをベースに仕上げていくんですが、時間が圧倒的に足りなくて、克昭がなかなか慣れることができなかったんです。当然、克昭が走りやすい仕様やセットアップもあるんですが、当然その状態でのデータはないわけで、タイヤがタレてきてから、フルタンクで走り出したマシンが軽くなってから、そしてライダーが疲れてきてから、どういう動きをするのかまったくわからない。
ふたりのセットアップの中間点を探るという手もあるんですが、これをやるとどっちのライダーにとっても中途半端になって、いい結果は生まれない。だから、克昭がぼくのセットアップに合わせてもらうしかなかった。克昭もそれを飲んでくれて、慣れないマシンでがんばってくれました。これも、克昭にライダーとしての技量があったからこそ、できることなんです。
だから、克昭の走りはこんなもんじゃない、あいつ仕様のマシンで走れば、もっともっと速いライダーだということを付け加えておきます。
いよいよ決勝日。ここまで4日間きちんと休養を取ったおかげで、どうにか体調は元に戻りました。こうなると、もうやるしかない!
スタートライダーはぼく。ここのところ全日本でも上手く行っているスタートもきまりました。1コーナーでは、辻村選手(TSRホンダ)に続いて2番手。オープニングラップのうちに宇川選手(ホンダ)が上がってきて3番手で1周目を終えました。2周目に辻村選手を抜いて、宇川選手を追う2番手へ。
しかし、どうもマシンのフィーリングがおかしかったんです。前を走る宇川選手を追うどころか、ついていけなくてジリジリと引き離されてしまう。きのうまでのマシンとあまりにもフィーリングがちがって、ペースをあげられないんです。
マシンのセットアップというものは、そのときそのときによってベストな状態は変わります。一度走ってセットアップが出た、と思っても、次の走行で路面温度が変わったり、コースがスリッピーになっていたり、もちろんペースによってもフィーリングがガラッとかわるもの。日曜朝のフリー走行でも、これから暑くなる路面温度、それに中古タイヤでのフリー走行ということまで考えてセットアップをつめたのに、それが日曜午前11時半からの走行にはピッタリこなかった、というわけです。
2番手で克昭へバトンタッチ。この1時間は、とにかく辛抱の時間帯でした。2周目に岡田選手(ホンダ)、ヘイデン選手(ホンダ)、そしてヨシムラの渡辺選手がアクシデントでいなくなって、その後もたくさん転倒車が出たことでペースカーが2度入ったのですが、それが幸いして体は平気でした。
そして克昭の1回目の走行中に、トップを走っていた井筒選手(ホンダ)が転倒し、ピットイン。これで克昭がトップとなり、2番手は青木選手(ウィダーホンダ)、3番手に鎌田選手(桜井ホンダ)。言っちゃあ悪いけど、ぼくと克昭が普通に走ることができたら、恐れるチームではありません。
2番手でバトンを受けた2回目の走行では、フィーリングのおかしかったサスをちょっとアジャストして出たこともあって、前半はいいペースで走れました。ウチのチームのベストラップ2分9秒604もこの回に出て、この時間帯の前半は、他のチームより断然速い2分10秒台をキープして周回できました。
後半にややタイヤがタレたものの、トップを走る鎌田/生見組が6回ピットをやっていることもあって、鎌田選手がピットインして再びケンツがトップに浮上。これからしばらくは、ピットのタイミングがちがうケンツと桜井ホンダが、相手のピットインでトップ浮上、という展開になっていきました。
こちらは7回、桜井ホンダは6回ピットで、その1回分のタイムマージンは、40秒と考えていました。つまり、40秒の差をつければ、6回ピットをやられても勝てます。そしてぼくの3回目の走行でついにコース上で鎌田選手を抜いて、見た目の順位もトップ、その後ピットに入った桜井ホンダとの差は、最大で1分半はつきました。計算上のマージンの、約2倍。このへんで、そろそろ優勝が見えてきた、と思っていました。
そしてぼくの最後の走行へ。克昭からマシンを受け取って、4回目のコースイン。こちらがピットに入ってこともあって、2番手とのタイム差は少し縮まりましたが、それでも1分以上は離しています。さらに、桜井ホンダにもピット作業でのミスか小さいトラブルがあったようで、鎌田選手がコースインして6周で再びピットイン。これで桜井ホンダの6回ピット作戦も消滅して、ますますケンツの優勝は現実味を帯びてきました。
しかし、ぼくの4回目の走行中に、なんとケンツにフラッグが提示されました。コース上で「ゼッケン8」へのフラッグを確認したぼくは、ライトがついていないのだと思い、ライトオンのサインが出てたのか、と思って(実際はまだ出ていなかったんですが)ライトオンで再びコントロールラインへ。しかし、まだフラッグは提示されているし、チームのサインボードもPの指示。
次の周回で指示通りにピットインすると、20秒ストップ&ゴーのペナルティだという。どうやら、さっき克昭からぼくへのライダー交代のときに、作業人員オーバーをとられてのペナルティだったようです。ピットに入ったマシンには、最大で4人までしか作業をしてはならない、というレギュレーションがあるので、ピットワーク中にだれかがスクリーンを拭いたり、ブレーキレバーをポンピングした瞬間に5人目とみなされて、それがペナルティとなるんです。
しかし、後で聞いたら、5人触っているような瞬間があるから、次にこういうことがあったらペナルティが課せられますよ、とオフィシャルに注意をもらっていたようなんです。次に気をつけて、といわれながら、その場でペナルティ……。なんか釈然としませんが、その場のぼくはそんな細かいことなど分からず、とにかくペナルティを取られたことに燃えていました。
チクショー、こうなったらもっともっとブッチ切ってやる、と。おかげでその後の走行も、10秒後半から11秒前半のタイムでコンスタントに走れて、トップのまま克昭へ。ペナルティまでに1分以上あった差が30秒まで縮まりましたが、桜井ホンダもケンツもあと1回ずつピット作業があるので、もうイケるな、と確信できました。
最後のピットインで、克昭へライダーチェンジ。ペナルティを取られないようにゆっくり確実にピット作業をして、マシンを降りたぼくはピット正面の大応援団に手を振ってピットの中へ。
しかし、勢いよく出て行くはずの克昭の姿が、まだそこにある!
「エンジン、かかりにくいか…」
そう思っただけなのに、まだエンジンはかからない。
「エ!オレの時はなんともなかったで!」
本当に、わが目を疑いました。押しがけをしてもエンジンがかからないマシンをピット前まで押し戻して、スタッフが修復作業をし始めてくれました。そして、ぼくの今年の耐久は終わったのでした。
マシンはその後、1時間近くスタッフが修復をしてくれて、終了2分前に息を吹き返し、その間、ずっとピットで修復を待っていてくれた克昭がコースインして、188周でチェッカーを受けました。ぼくが克昭にバトンを渡したのが187周目でした……。
トラブルの原因は、点火系のトラブル。とはいえ、点火タイミングセンサー配線カプラーの中、のたった1本の接触不良が原因でした。誰のせいでもないし、トラブルでもミスでもない。スタッフは、エンジン周りの部品をほぼ総とっかえしてこのトラブルに気づいてくれました。
欠損したパーツの大きさは、ほんの小指の爪の先ほど、金額は10円かそこらでしょう――。
レースはチェッカーを受けるまで何があるかわからない、とはよく言われることで、今まではぼくも分かっていたつもりでした。なのに、こんなすごい結末が待っているなんて、思いもしなかった。克昭と、そしてチームのみんなとやってきて、最高の状態で迎えた終了1時間前に、一瞬にして地獄へ叩き落されたような、そんな終わり方になってしまいました。
今になって考えると、最後の走行を終えて控え室に帰ったのも覚えていないし、もう、フヌケでした。魂が抜けてボーッとしていると、妻が来て
「みんながんばって直して、克昭君が最後まで走るんやから、ピットに迎えに行くよ」と。
そこで現実に戻った感じでした。
こうなったのも、しょうがない。誰のせいでもないし、誰も責められません。克昭はよくがんばってくれたし、5年ぶりの鈴鹿でのレースで、マシンに慣れる時間も少ない中で、痛めた腰をガマンして、麻酔を射ちながら走ってくれた。チームのムードも明るくしてくれたし、すごくやりやすい、最高のパートナーでした。
スタッフのみんなも、鈴鹿入り前から徹夜続きで、ロクに寝ていない中で迎えた耐久でした。今回の耐久のために、スズキのレースグループからメカニックも応援に来てくれて、彼らもすばらしい働きをしてくれた。もちろん、高橋チームメカをはじめ、ウチのスタッフもすばらしかった。本当に感謝しています。そして、ケンツのピット前に陣取ってくれた大応援団も、いつも以上に心強かった。この大会でも、最高の応援団やったで!
最後になりましたが、この耐久は、いつものJトラストさん、MOJOさんに加え、アートコーポレーションさんがチームをスポンサードしてくれました。マシンのサイドにある「0123」のステッカー、見てくれましたか?
ぼくだけじゃなく、ペアライダー、チームのみんな、スポンサーのみなさん、そして大応援団みんなの力で、また来年!
最後まで応援、ありがとうございました。